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花火 |
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2006.04.26 |
ボリス・ベッカー&パトリック・クーネンVS小野田倫久と僕。1997年4月14日、ジャパンオープン。夢のような対戦だった。なんたって、相手はウィンブルドンの最年少チャンピオンで、ましてグランドスラムで5回も優勝を飾ったあのボリス・ベッカーなわけだから、僕にとっては失うものもプレッシャーもない。むしろウォームアップの5分打ち合えるだけで大満足だったんだ。
第1セットは“普通に”あっさり1−6で取られたのだか、第2セットの4ゲーム目、思いもしない隙がみえ、身の程知らずもいいところで「チャンスはあるかもしれない」と僕の体内のありとあらゆる細胞が踊り始めた。ヘルニアによる2年間のブランクから復帰したばかりで自分を試せる場に飢えていた僕の勢いは、違う意味で世界レベルだった。(笑)小野田との波長は恐ろしいぐらい合い始め、同時ベッカーの顔色は明らかに変わり始めていた。ベッカーとクーネンの玉が見える!目が慣れてきたんだ。そして体もそのスピード感を覚え始め、全てがスローモーションに見えるほどの集中力で、相手のパワーを利用した数々のショットが僕達の得点となっていき、気付くとゲーム数まで奪っていた。
もうここまでくると、同じコートに立てているだけで嬉しい、なんてウカウカしている場合じゃなく、1ポイント、1ポイント、神に拝む気持ちだった。「早く終わらせて!お願いだから勝たせて!」と何度空を見上げながら想い叫んだことか。マッチポイント。僕のサーブ。ベッカーのリターン。僕のハーフボレー。ゲームセット。僕は全身全霊で叫んだ。叫んでも叫んでも叫び足らない。右も左も、前も後ろも、上も下も何も見えない。僕と同じように飛んでも飛んでも飛び足らなくて叫んでいるパートナーしか視界に入らなかった。
世界のトップ選手達が集まるこの日のレセプションパーティーは、本来自分のような選手の居場所はまったくと言っていいほどないのだが、この夜は目が合っただけでも才能を盗めるような気分になってしまうトップ選手達が「よかったよ。」と肩をたたいてくれた。僕は、体全体の毛穴から火が吹き出るような、背中がゾクゾクと寒気がして倒れちゃいたいような、なんとも説明しがたい興奮状態にあった。ぐっときたのは、松岡修造選手が、僕達が勝ったことを知らずに励ますように声をかけてくれたが、後で事実を知った時、すぐに駆けつけてくれ、まるで自分の事のように喜びを表現してくれたことだ。
たかがダブルスかもしれない。たかが、1stラウンドかもしれない。だけど、僕にとっては、一生に一度の「金メダル」だったんだ。
テニスパーフェクトマスター (新星出版社)より
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