4歳からテニスを始め、小学校1年生でトーナメントデビュー。両親(国体選手)、姉兄(関東上位)の影響もあって全国でも頭角を現し、少6の頃には関東ジュニアランキング12歳以下1位となり、日本代表選手として海外遠征に参戦する。この年に全国小学生第1回大会が開催されているが、1学年上の代表に選ばれ小学生に敵は無く、小学生大会はスキップ。中学1年生の時には、山梨県18歳以下でチャンピオンとなり、中学2年3年で全国中学生大会にて2年連続準優勝する。
山梨大学付属中学卒業後、山梨から神奈川にテニス留学。1人暮らしを始める。
高校は相工大付属(現湘南工科付属)に入学し、荏原湘南スポーツセンターで練習に励む。
同期で入学した谷沢英彦(89年全日本チャンピオン)、増田健太郎(93,94年全日本チャンピオン)と共に三羽烏と呼ばれ、高校選抜、インターハイ、国体など全国タイトルを総なめする。
高校卒業後は世界を目指す為コーチを探しにアメリカに渡り、各有名キャンプ、ホップマン、ボロテリーなど転々とするがなかなか見つからず、リミットの3ヶ月が経ちあきらめかけた頃、USTAのサテライトの会場でKim Warwick氏(元グランドスラムチャンピオン)と出会い、拠点をフロリダのTANPAにあったEAST LAKE WOODLANDをメインに、Warwick氏と共に世界各国を転戦し、特にダブルスではサテライトで3回優勝するなどATPポイントを獲得して活躍する。
帰国後、プロへと転向し日本ランキング5位(ダブルス)まで浮上するが、高校時から痛めていた腰痛が悪化し、椎間板ヘルニアのため手術をする事を決断。それから、2年間のリハビリ生活を得たのち、インド・チャレンジャーを季に3年ぶりにATPポイント(シングルス)を獲得し見事復活。国内大会では東京オープン、千葉オープンと2週連続単複優勝する。さらにその直後のジャパン・オープンでは日本人で唯一Boris Becker(元ウィンブルドン世界チャンピオン)をダブルスで破る快挙を達成し、日本テニス界ビックニュースとして話題となった。その翌年、ダブルスではあるが念願の全日本タイトルを手に入れ、その後も足首の手術をするなど、ケガに悩まされながらJOP国内トーナメントを中心に活動し、通算ITF国際大会ダブルス優勝6回、JOP国内大会優勝シングルス20勝以上、ダブルス10勝以上の戦績を残し、2002年11月全日本選手権を最後に引退。
引退後は、地元山梨でISHII TENNIS ACADEMYを設立。ジュニア育成に取り組むほか、テニス雑誌での連載、DVD付き書籍3冊・パーフェクトマスター(新星出版)・キッズ&ジュニアテニス(新星出版)・レベルアップマスター(新星出版)の監修を勤めている。又、Pat Cash(1989年ウィンブルドンチャンピオン)のテニスクリニックを2年連続、日本数ヵ所で開催するなど精力的に活躍中。
主な成績
97年ジャパンオープンでウィンブルドンチャンピオンのボリス・ベッカーを破る快挙を達成
98年全日本選手権優勝(複)
85年・86年Jrデビスカップ日本代表
JOP国内大会シングルス優勝20回以上
ITF国際ダブルス優勝7回
日本最高ランキング シングルス12位・ダブルス5位
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